旅の初めから読まれる方は「ジャカルタ旅行初日~2日目!ミレニアムホテルからタマン・ミニ・インドネシア インダーへ」から読み進めてください。
旅も6日目で明日には日本に帰るだけなので、本当に旅も最後になってきました。
いよいよ、今日は以前から行ってみたいなと思っていた、ボロブドゥール遺跡に行くことができます!
マリオボロ通りの近くのホテルから出発して、約一時間の程度バスを走らせるとボロブドゥール遺跡に到着しました。
運が良いことに、全然雨が降らず今日も快晴でした!
もちろん、物売りもいて、長い間絡まれることになりました・・・だれかがその様子を撮影していたようです。
このように緑の多い原っぱやココナッツの木があるところにボロブドゥール遺跡はあります。
ガイドさんが付きます。聞いてみると、日本人は多いらしく、ボロブドゥール遺跡の観光客はオーストラリア人に次いで2番目に日本人が多いらしいです。歩いていると結構日本語が聞こえてきます。
ガイドさん。
こんな広い原っぱもあります。
歩いていくと・・・
巨大なボロブドゥール遺跡が姿を現しました!!!
記念撮影を撮ることになりました。全然うまく取れてないけども、ボロブドゥール遺跡はきれいに映っています。
いよいよ、ボロブドゥール遺跡の入り口です。上から見たときの図があります。
長い階段をずーっと上って行きます。暑くて暑くてみんなバテバテです。
だんだんとてっぺんに近づいてきました。すごい!!
後ろを振り返るとこんな感じです。左側に見える大きな山は「ムラピ山」と呼ばれる火山です。
すごい絶景です。
疲れたからこのあたりで休憩・・・
いよいよ頂上に近づいてきました。
遠くから見ると小さく見えますが、近くで見るとこの迫力です。
石の組み合わせです。
このボロブドゥール遺跡は9世紀ごろに建てられたといわれており、仏教の遺跡としては珍しいピラミッド構造で、それも謎らしいのですが、先ほど紹介したムラピ山の噴火により、火山灰で埋まっていたんですよ!
だれにも気づかれず、地元の人にも知らなかったのですが、偶然、1814発見されて、1854年にほぼすべてが掘り起こされたんですって。で、1991年に世界遺産に登録されました。
こんな高台にある、しかもものすごいでっかいものが火山灰で埋まって、掘り起こすまで誰にも知られなかった・・・って、ロマンの塊のような建造物ですね。不思議!!
昼間に来るのも絶景ですてきなのですが、観光する場合は涼しくて、ボロブドゥール遺跡がより美しく見える夕方がおすすめだそうです。
(夕日に染まる幻想的なボロブドゥール遺跡)
そんなボロブドゥール遺跡です。ジョグジャカルタに行ったら絶対に行ってくださいね~
そして、ボロブドゥール遺跡を後にし、昼食の後にはムラピ山に向かいます。
(ごはんをおいしそうに食べるアブドゥラ君たち)
ムラピ山に到着
またバスを走らせて、ムラピ山に向かいます。
(建物右側に書かれているMGMはMuseum Gunung Api Merapi「ムラピ山博物館」の略です。)
ムラピ山は今でも火山活動が盛んな山で、たまに大きな事故になり、死者もたくさん出している危険な場所でもあります。
そんなムラピ山の恐ろしさがつまった博物館に行きました。
(入り口ではなぜか歌を歌っている人がいます)
(ムラピ山の模型)
(ムラピ山についてのお話を聞きます)
そのあとは、ガイドさんが活断層や、火山が噴火する理由などを細かく説明してくれます。なかなか大きな博物館です。
(今まで何度も大きな噴火がありました)
(噴火によって壊れた食器類)
(こんなものが空から降ってきて当たったらひとたまりもありません)
(もはや隕石です、僕は「今日だけは噴火しませんように!」と祈りました)
(鉄でできたバイクもこんな無残な姿になってしまいます)
(買い物用なのか、謎に大きなリュックを背負って撮影の邪魔をするアブドゥラ君)
(ピースをするアブドゥラ君)
(次に映画館のようなところで、ムラピ山のドキュメンタリーを見ます)
結構大きくて回るのが大変な博物館でしたが、面白かったです。
ムラピ山に登る!
そして次に実際にムラピ山に登ることになります。歩いて?いやいやいや、ジープですよ!
全員がジープに乗り、高い山を駆け上がります。これが猛スピードで楽しすぎてビックリしました。
(こんな感じで一列で進んでいきます)
迫力のジープ映像です。撮影者のトーマスの運動神経がすごい!笑
(ジープに乗って記念撮影)
(みんなびしょびしょ・・・でも楽しかった)
ムラピ山に行ったものの、正直山よりもジープが楽しすぎて、たいして火山を見ていなかったです。笑
それほどまでにスリル満点のジープでした。この旅で一番の思い出になりました。
途中で、広いところにジープを止めてムラピ山の風を感じます。火山灰の影響か、髪の毛がギシギシになりました。この辺は火山灰がひどくなってきているので、みんなにマスクも支給されます。
途中で広場に行きます。
(でっかい岩がありました)
(ムラピ山をバックに記念撮影)
もはやみんなムラピ山の存在は忘れていましたが、めったに経験できないような経験をさせていただきました。
夕食は雰囲気の良いOmah Kecebong
いよいよ、みんなで食べる最後の夕食!このレストランは強い印象が残っています。
夕暮れ時で少し晩御飯を食べるのには早いんじゃないかな?と思っていました。
門をくぐって中に入るといろんなものがあります。
あの楽器です。実際に演奏もされます。
バティックを作っているおばちゃんがいます。
まだまだ歩いていきます。一人ひとりに帽子を手渡されます。
そこから牛が引っ張る車に乗り込みます。
長い道をこのようにゆっくりと進んでいくのですが、そこは広い田園地帯で、薄暗くなりものすごくきれいな星空を眺めながら、ウェルカムドリンクのパイナップルをくりぬいた容器のジュースを飲みながらゆったりと進んでいきます。
到着すると、すでにバイキングが用意されており、そこで最後の晩餐会!
楽器の演奏でおもてなしをしてくれます。
最後には、、表彰状的なものをもらったりして、みんなで踊ったりしていました。
みんな自由に踊ったり、散歩したい人は散歩したりしていました。
(俺にもバティックをやらせてくれ!一回でいいから!!と懇願するアブドゥラ君。)
(プロの歌手が歌っているのに、「俺はカラオケがしたいんだ」と、急にバンドに参加した陽気なアブドゥラ君。)
僕も初バティックづくりにチャレンジ、熱いインクを垂らしていくのですが、なかなか難しいです。
そんな最後の夕食はとっても楽しかったです。
帰ると再びマリオボロ通りへ
そして、また帰りにはマリオボロ通りに行くことになりました。
夜中の12時に出発して、マリオボロ通りにある大きな公園に行きます。まだまだ活気づいていて、夜店などもたくさんあります。
大きな公園があり、そこにはたくさんのカラフルなタクシーがあります。
そして、帰りは馬車で帰ってきました。
ヘビを首にかける勇気のあるトルコ人、ネイザップ。
帰りはベチャと呼ばれる馬車に乗って帰ってきました。
帰ってくると夜中の2時、寝ると明日はいよいよ帰国となります。
翌日は、ジョグジャカルタからジャカルタへ
もう最終日で帰るだけ・・・それ以外の予定はありません。
まずはジョグジャカルタの空港からジャカルタの空港へ向かいます。
また、ガルーダの飛行機の中ではドッキリのテレビがやってみんな笑っていました。
僕は、夜の23時30分の便なので、朝からずっと待つことになります。早い人はお昼ごろにはぞろぞろ帰っていきました。
(写真は空港での待ち時間)
(もうあと少しの別れですが、みんなで楽しくおしゃべりしていました。短い間ですが、仲良くなれてよかった!)
飛行機、飛ばず・・・
みんなと喫茶店にいって、空港でずっとおしゃべりしていきますが、一人帰り一人帰りと結局一番最後が僕でした。
いよいよ出発というときに、日本で台風があったから飛ばない!ということになってしまいました。飛び立つのは明日の12時・・・あと12時間以上ある・・・
結局空港で寝て、次の日の便で無事に帰ってくることができました。
まとめ
長い旅の記事を読んでいただきありがとうございました。
インドネシアの良さっていうものは、まだまだ外国からは認知されていないということで、インドネシアの政府もこの旅行のプレゼントなどで知ったインドネシアのすばらしさを広げてもらいたいということを言っていました。
まあ、今回の旅で行ったところは、全部いいところばかり、でも、インドネシアはまだまだ発展してない部分があるのも事実です。でも、僕はそういった部分もインドネシアの魅力だといいたいです。安いナシゴレンを屋台で食べたり、一生懸命に交渉してバイクに乗ったり、たまに痛い目に遭ったり・・・今の段階ではそれを含めてインドネシアです。でもそれが楽しい!
インドネシア語のスピーチコンテストはこれからもおそらく全国各地で行われていくことになると思うので、今勉強している方はぜひ参加してみてほしいな~と思います。
こうした、ちょっとしたチャンスですが、ものすごい楽しいこともあります。
そんなきっかけをくれたヤンティ、そして、スピーチで話す内容になった僕をホームステイをさせていただいたネンデン!本当にありがとうございました。
早く日本に帰りたかったのに、帰れないし、寝れないしで体力も限界でしたが、帰ってくるとやっぱりインドネシアっていい国だな~と思う今日この頃です。
お読みいただきありがとうございました!
はじめまして。インドネシア語スピーチコンテスト、優勝おめでとうございます。また、他の大会でも優勝なさって!楽しく読ませていただきました。こんなすごい方にコメントをお送りするなんて。と思いながら、書いています。タイキさんのジャパネシアYou Tubeやfase bookを探し当てた時、これだ~っと思いました。私は、娘の結婚式をバリでした時にお世話になった、旦那さんのご両親がジャカルタで事業を起こした時に従業員だった現地の方に案内していただき、インドネシアに魅了されたのではなく、インドネシア語に魅了されてしまったのです。それ以来、スラウエシ出身のインドネシア人の方に教わっています。今度、C級を受けようと思って過去問や、タイキさんのこのサイトを見て単語を覚えています。私、何を隠そう、今年で59歳なので、少々物忘れが…。でも、そんなこと言ってないで、タイキさんを目標に頑張ります。タイキさんのサイトは、まだまだ、奥が深いので、じっくり、焦らず、マイペースで、Sebumtar ya!