今回は初級から中級に向かおうとする人向けにちょっと話してみようと思う。
何を話すの?円安?
ちがうわい!引き続き、高い集中力を持って勉強を続けるために必要な考え方だ。
もう、そういうの多いな…
でも、需要があるんだ、仕方ないだろ。まあ、いくらいい車でもガソリンがなければ走らないように、高いモチベーションがなければ、継続的に効果的な学習をすることはとっても難しくなってしまう。
なるほど、じゃあ、もっと効果的な学習をするために、そのガソリンを入れないとな。
そうだ。そのガソリンを自分で注げるようになれば、そして少ないガソリンの時にも安定して走り続けることができればそれは長期的に見ると大きく距離を稼げるってわけだ。
なるほど!早く教えてくれ。
了解。今日は厳しいことをいうかもしれんが、語学以外にも活きてくることだから、最後まで読んでおくように。
中級まで来た段階の他者承認の扱い方
正直、インドネシア語で中級レベルに達する人は、学習者の中でもごくわずかだ。
基本的に、初級段階をクリアした段階で、勉強をやめてしまう人が多い。
それはなんで?もっと楽しい世界が待ってるかもしれないのに。
その理由はまず、企業から例えば3か月のまとまったレッスンをやるように命令されたり、あるいは3~6か月ぐらい経てば、次は学校側がやることがなくなったり、講師のスキル的にその生徒を教える技術が足りなくなってくることが多いからなんだ。
たしかに、それはあるかも。それ以降も頑張りたいって人はどうすりゃいいのさ。
そこで大事になってくるのは内発的動機づけだ。
自分でやる気を出すってこと?
まあ半分正解で半分間違い。自分で自分のことを動かすというと、なんだか、頑張って勉強する感じがするが、実際は、そんなことをしていると勉強自体がいやになって、やがては離れてしまうだろう。だからこそ自然に勉強に進める真の動機を常に意識する必要がある半分間違いって理由は、やる気は必要かもしれんが、あまり頼りになるものでもないからなんだ。腐った根っこのようなやる気にしがみついていても、結局は持たない。
勉強なんて大変なことが多いんだし、中級レベルに達するともっと大変に感じることも多いからなあ。
そう、そして、中級レベルぐらいになって、ある程度話し出したら、みんなから褒められたり、検定で合格したり、ある程度、目に見える成果が出てくる。
ほう、いいことじゃん。
ただ、これがアダになることがよくある。こういった他者からの承認や、外部の成果により自分を測る物差しができると、やがて他人と比べることが当たり前の状態になる。残念ながらこれがいい方向に向かうことはほとんどない。
なんで?もっと頑張ろう!ってならないの?
頑張ろうってなる、あるいは頑張ろうってなり続けることができればいいわけだが、人間はそんなに強くできていない。
結局ガソリン切れしちゃうと?
そう、結構いばらの道になる。語学学習が勝負の世界のようになってしまうから。本来の学習を始めたきっかけや目的と離れだしたときに、軸がぶれて、苦しい学習が始まってしまうわけだ。
なるほど、それを解消するにはどうすればいいの?
だからこそ内発的動機づけが必要ってわけ。そもそも自分はなんで勉強を始めたのか、その言葉を使って何をしたいのか。つまり、何かを証明するために勉強をするってことをやめる勇気を持つことだ。
それは勇気がいることかも、だって、証明した結果、自分のアイデンティティというものが確立されるかもしれないしさ。インドネシア語ができる自分ってカッケーみたいな。それの何が悪いのさ。
まあ、その人がそれがいいのであればいいのだけど、そういった人間はビビリになってくるし、能力は伸ばしにくい。
頭でっかち、足ガリガリ
何かを証明しないといけないと感じている人は、総じてビビリになる。
その理由は?
すべての問題が片付かなければ前に進まないからだ。
ほうほう、それは間違うのが怖いんじゃないの?
そうとも言える、インドネシア語を始めたばっかりの、いわば赤ちゃん状態の人は転びながら歩き方を覚えていった。それが、だんだんと転ぶことを恐れるようになってしまう。転んで覚えていた事実を忘れてしまうか、避けてしまうんだ。
それは?転んだら恥ずかしいからじゃないのかな。
そうだな、自分を証明しなきゃいけない人にとって転ぶことは、苦痛なんだ。そういった人は自分よりも偉い人、賢そうに見える人、より上にいる人、ようするに自分の足で今まで歩いてきた人の表層だけを借りてきて、そのまま自分のアイデンティティとしてしまう傾向にあり、自分の足で歩くことを忘れてしまうことがある。
なるほど、今まで転ぶことでうまくいってたのに、そのことを忘れてしまう…そうらないために必要なことは?
借り物の価値観で生きるのをやめることだ。自分がインドネシア語を学ぶ理由は、内発的なことでなければならない。他人が作った理由や価値観で勉強をするのではなく、自分がこうなりたい、こうしたいをもっと意識しておけばいい。
もし借り物の価値観で生きてると?
頭ばかり大きくなり、歩く経験が不足していく。その結果、頭でっかちで、足はガリガリ、結果もっと転びやすいニンゲンになってしまうんだ。それなのにプライドばかりが高くなり、どんどん挑戦することが少なくなってしまう。
そっかー、それは長期的に見て人生のマイナスの何物でもないな。そうなってしまった、あるいは、そうなりつつある、ってことに気づいた人はどうすればいいの、まだ間に合うよね。
もちろん、その修正にこそ、人間的成長がある。そういった人に使える特効薬は「全力で引き返す」ことだ。
悪い習慣・考え方を思いっきりやめる
まあ、そんなことできたら苦労しないんだけどさ、もっと具体的に教えてよ。
つまりだな、悪い習慣、考え方に気づくかどうかが第一段階、その後、それをやめるかどうかが第二段階。この第二段階で引き返すスピードをフルスロットルを出せるかどうかが今度の人生の質を上げてくれることになる。
例えば、勉強中にスマホをいじるとか、失敗を恐れる姿勢とか、そういった悪い習慣・考え方に気づいた時点で、スパっとやめるってこと?
そう、ここのツメが甘い人が多いんだ。気づいてるけども、いろんな言い訳で自分を許してしまう。さぼった自分を正当化してラクしようとしたりするのが人間。だからこそ、気づいた段階で全力であるべき自分に還ることが重要なんだ。
あるべき自分ってのは本来自分が一番よく分かってるかもね。失敗を恐れない!とか、めちゃくちゃ当たり前のことを言ってるし100人中100人がその通り!っていうような考え方だもん。
そう、そういった当たり前をこなしていくとどうなるか、どんどん当たり前のレベルが上がっていく。良い習慣を続ければ、より質を上げたくなる、それを継続していくことで、その人は周りから見たら異常なほどにストイックに見えたりすることもあるだろう。
ああ、確かに、アスリートの方とか、そんな感じがあるかも。でも僕とはレベルが違うとも思っちゃうな。
もちろん、アスリートほど、自分に負荷をかけられる人も少ないし、多くのファンの期待の中で自分を律していく必要はないかもしれない。しかし彼らだって最初はただの子供だったんだ。さぼったこともあっただろうし、「嫌だな」「しんどいな~」といって適当な練習をしたことが昔はあったはずだ。
確かにそうだな、習慣の織り成すものって時間がたつにつれて大きくなるんだな。細かい修正であるべき目標に立ち返り、質を上げ続けた人のうわべだけを見て、自分には無理っていうのも違うってことに気づいたよ。
そう、そして、いい習慣を強固にすること、これと真逆のことをしてきた人はそれはそれで恐ろしい未来を迎えることになる。
音のない崩壊
悪い習慣により悪いことが起こる。それは当然のこと。しかし、そこにはドラマのような派手演出や、泣きじゃくるようなこともない。悪い習慣を続けた人がは、気づかぬうちに病のようにむしばまれていく。それが、どうしようもなくなった時、ついに、目の前に現れる。しかも音もなく…
逃げ続けた、言い訳し続けたツケを支払う時は一括払いだ。
ただ、その時に対処できる体力がサボってきた人にあるのか。
今までさぼってきた自分に正面から向き合う時が生きていると必ずやってきてしまう。
これは語学学習でもそう、今持っている習慣が、悪いように作用するのか、より良い未来を作るものなのか。これは今からでも十分に修正ができる。
悪い習慣によって取りこぼしてしまったことは目に見えない。超コワイじゃん…
そうだな。ただ、気づいたオマエは対処可能だ。しっかりとポテンシャルを伸ばし続けるためにここらでもう一度気を引き締めておいておくれ。
たかが「語学学習」って思ってたけど、考え方も変わってくるんだな~。
そうそう、それが普通のことだ。付き合ってた恋人が結婚して、時間がたつと、見方が変わってくるだろ。そういったことが言語にも起こってくる。出会った言語を学んでいけばいずれは「相棒」のような感覚になってくる。
なるほど、面白い。
せっかく出会ったインドネシア語、出会いがあれば別れがあるわけだが、その出会いを永遠にするか一時にするかは自分次第。これから中級を目指すにあたり、大変なこともあるだろうが、この出会いをよりいい出会いに変えるためにここから出会ったころの気持ちを思い出してインドネシア語といい付き合い方をしてもらうことを願う。
ああ、この先、勉強してていいことあるかな…
ははは、しばらく外国語を勉強してる人に浮かんでくる疑問ランキング第一位だな、オトナはすぐ何かいいことがあるかどうかを考えてしまう。コレも悪い癖だ。子供は遊びが将来につながるか考えない、その場その場で100パーセント全力だ。その結果、その一日の充実感は異常なほど高かっただろ。
確かに、朝から晩まで虫取りして、帰ってきて、寝るときの充実感… あの感覚はいつ以来感じていないんだろ。あれほど熱中して何かをしたってわけじゃないのに、なんだか夜は寝れないし、なんでなんだろ?
それは年じゃないか?
おい!
ハハハ、嘘だって、それは昼をちゃんと生きてなかっただけだろ。
昼生きてなければ夜死んでるだろ!
オマエは本当に文脈を読み取る力がねえな、生きるって呼吸するだけじゃないだろ、本来の自分が人生で大事にしたい価値観に沿って生きることをほんとの「生きる」って言うんだよ。
ああ、ムズカシイ… ほんとに生きなきゃいけないのか。
子供を心から愛する親が、子供をただの投資対象としては見ないだろ?自分におきかえて、自分に対して何かをするときはなぜか将来のメリットばかりを考えてしまう。語学をやるメリットは自分からつかみに行くこともできるが、待ってても十分に享受できるもの。それを心から深く感じることさえできていれば、今日の日を楽しみながら、きっと未来でいいことがあるはず。語学という相棒に愛情を注げば、きっとそいつはいろんなプレゼントをくれるはず。それは今じゃない、10月の誕生日プレゼントを2月にねだってんじゃねーよ!
なるほど、じゃあ10月までガマンだ!
いやいや、物分かり悪すぎる!ガマンではなく、期待もせずに、今をしっかりと生き抜くこと。これだけで十分すぎるぐらいの満足感は得られるから。
ジョーダンだって、ハリも俺に期待しすぎんなよ~
じゃかましい!ハナから期待してねえわ!じゃあ、今までコツコツやってきたように、それは変えずに、この先もコツコツ行けばいい。まだまだ振り返るには早いぞ。さあ、次のレッスンだ!
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インドネシア語|接頭辞Ber-大全集
なんのためにインドネシア語の勉強してるのかなぁとはよく思う。
なぜ勉強を始めたか思い出すのは大切ですね。