
よし、インドネシア語を初めてここまで来たみなさん、お疲れさん。ジャパネシアの記事を読むのもなかなか大変だろ。

めっちゃ大変だよ。未経験から初心者の段階になるまでも結構大変。頑張ってきたし、それなりに楽しくやってるけど、まだまだ自分に自信が持てないんだよな~。

ああ、なるほど、それは立派なインドネシア語「初心者」症候群だな。

なんそれ…

この初心者段階の学生さんがやりがちなのが、周りの人と比べてしまう行為だ。

ああ、つまりほかの学習者を見て、自分よりうまいとか、下手とかやたらと気にしてしまうこと?

そうそう、あの人は自分と同じ時期に始めたのに、めっちゃうまくなってる、、、なんで自分は下手なんだろ… 語学の才能がないんじゃないか…とか、いらんことばっかり考えだす。

「いらんこと」って… 本人は結構真剣に悩んでるんじゃないの?そういう人のやる気をそがずに頑張ってもらうにはどうするのがいいんだよ。

はいはい、今回は、そういった初心者が、なんとか自分の中の葛藤や悩みと折り合いをつけて、今後の学習で何を目指していくべきかについて話してみようと思う。

インドネシア語の学習を始めたばかりのころは、何もかもが美しく見えた。インドネシア語のかわいい発音をマネしていってみたり、新しい単語をたくさん覚えて、どんどん成長する感覚がある。

そうそう、どんどん自分が成長している感覚があって、楽しい!もっともっとやりたい!って感じあるな~。

そうだな、ただ、この辺から、自分の成長よりもほかのことにフォーカスするようになる。つまり、周りの人はどうなのか。周りの人と比べて自分の位置はどのぐらいなのか。負けてないか、あるいは勝っているか、なんてことを考えてしまう。

たしかにね、ジャパネシアにはオンラインスクール「Japanesia Live College(通称JLC)」っていうのがあるけど、「初心者ですが大丈夫ですか?」「もっとインドネシア語がうまくなってからじゃないとダメですよね。。。」みたいな質問をよく受けるよね。

まさにそういうこと。ちょっとJLCの授業とかを見て、自分よりうまい生徒さんがいると委縮してしまう、その環境でやっていけないと感じてしまうことがあるんだ。

それはめっちゃわかるな~、ってかそもそも、今まで独学でやってる人が周りの人が気になるのは、やっぱり自分のやり方が正しいのか、あるいは、このまま進めていってもいいものか、というのが気になっちゃうんじゃないかな?

そうだな、特に、ジャパネシアの記事だけを見てる人は、コツコツ一人の世界で、学習を進めることになるから、自分がちゃんと前に進んでいるのかを確認したい衝動に駆られるんだと思う。

そもそも、独学でうまくいってる人はそのままでいいんじゃないの。この段階で、インドネシア語の学校に通ってみようかな~とかんがえる人も多いと思うんだけど。

ジャパネシアでも初心者段階の人によく言っていることは「自分の身の回りのインドネシア語から学ぶ」ということ。ここを軸にすることは、初級段階では非常に重要。でも、学習を進めていくとここがデメリットになることがある。

デメリット、そんなにあるかな?例えば?

うん、それは、「自分の世界しか」広がっていかないことだ。つまり、自分の世界だけのインドネシア語を学ぶだけで、それを広げてくれる他人(インドネシア人や先生、友達、知人)の存在がなく、なかなか世界が広がっていかない。これは独学の限界、あるいは制限ともいえるな。

たしかに、インドネシア人とのちょっとした会話から学べる事とか、新しい発見ってあるもんな~。否が応でも世界を広げられるというか、自分ひとりでは到達できなかったところに一気に連れて行かれる感覚がある。

その通り、特にインドネシア語を学ぶと同時に、文化背景や、僕らインドネシア人の常識、考え方を理解しておくことも、今後の学習の土台を作る上で大切になってくる。というわけで、この段階で、学校や友達、なんでもいいけど、他人との学習を考えてみてもいい。

さっきも言ったが、他人と学ぶことで、否が応でも自分の世界が広がる。そして、あらゆるアプローチからインドネシア語の基礎を作り、今後の学習を加速させてくれるようになる。

「あらゆるアプローチ」ってどういうこと?

例えば、初級段階では、よく使うフレーズや基礎文法などを中心として学んできたが、他にもリスニングや、特定の場面、例えば「タクシーに乗った時」の会話といったものや、長めの文章を読むといった学習だ。インドネシア語の会話力、読解、文法力などを総合的に身に着けていかない限り、なかなか成長しないとうこともある。ちょっと以下の樽を思い浮かべてみてくれ。


一言に「インドネシア語を伸ばす」といっても、それには様々な要素が絡み合っている。たくさんフレーズを覚えれば、会話が上手くできるか、と言えば、そうじゃないよな。実際に聞き取って、実際に正しい発音で発言しなければ、インドネシア語が伸びたとは言えない。

たしかに、この樽のような能力の一部が欠けてしまったら、会話が成立しないってことさえありえるよね。

そう、一つの単語を知らないだけで、相手が何をいってるかさっぱりわからなくなったり、ちょっとした発音のミスで相手が自分のインドネシア語を理解してくれなかったり… それだけでコミュニケーションが破綻してしまうこともあるんだ。


この樽たまった水の量がインドネシア語の総合的な能力だとすれば、今後はしっかりと自分の穴を意識した学習が必要になるね。

そう、それに、独学で続けていくとなかなか「足りない部分」に気づけず、自分がなんで、インドネシア語が上手くできないのかもわからないということもあるんだ。それに樽の高さも出ない。

なるほど、水いっぱいにするには、いろんなことを学ばなきゃ… これは独学だと大変だな。

まあでも、自分で独学でいろんな課題を見つけて、解消できる人であれば、時間はかかってもいろんなことに気づき、きれいな形の樽を作ることができる。キックジャパネシアではこの樽を作ることをイメージして作ってるから、独学でも検定C級レベルまでは十分に到達できるはずだ。


ただ、やはり独学では会話での反射神経や、思わぬ角度からの質問への対応などは鍛えることは難しい。すでに基礎を固めて初級レベルへ進む人は、もっと頑丈な樽(基礎)を作ることが求められる。ここをおろそかにして、勉強をしていくと、難しい文章は読めるのに発音が上手くできなかったり、会話はうまいけど、読むのがダメとか、中途半端なままで終わってしまう。

なるほどね、しっかりと一つ一つ丁寧に学ばないとね。こうすれば初心者が抱えがちな悩みは解消できるね。

いや、そういうことはない。ちゃんと考え方や心の持ちようを意識しなければこれからかなり大変な道が待っている。じゃあ、初心者が一番やっちゃいけないことを話すぞ。

初心者が一番やっちゃいけないこと?具体的に教えてよ。

学習者がいちばんやってはいけないこと。それは「無意味な遠慮」だ。

つまり遠慮しないってことか?

学習者がいちばんやってはいけないこと。それは「無意味な遠慮」だ。つまり、ちょっとした勇気が出せるかどうかが最も重要になる。

でも、初心者の段階ってまだまだ知識が少ないし、間違ってしまうことも多いから、「ちょっと私はいいや」って遠慮してしまうような気がするんだけど。

初心者なのに間違っちゃいけない、と考える人がいるが、正解はその逆、間違わなきゃいけないんだ。うまくなったらようやく何かを始めるんじゃなく、今の状態の自分をぶつけて、間違えてうまくなるんだ。このプロセス抜きにうまくなった人はいない。

まじかよ、確かにな、でもそれは勇気がいるな~。

何も知らない、いや、何も知らないからこそ、何も知らない環境に身を置かないといけないんだ。その不快感に正面から向かっていかなければならない。

なるほど、まさに「勇気」の話だね。

このちょっとした勇気を出せるかどうかが、今後の伸びを支えてくれるんだ。

すでに、学校に通っていたり、誰かとレッスンを受けている人もきっといると思うが、そういったときほどどんどん間違えておくように。間違いは絶対に恐れてはダメだ。

でも、うまく話せるかどうかって気にならない?

うまさを気にしてるのは、オマエと、一部の日本人だけだ。ほんとにオマエは「自分」がかわいいんだな。

ああ、そうかな、かわいい系だとは思ったことないけど、まあ、ありがとね。

褒めとらん!! 詳しく説明すると、本来、相手ありきのコミュニケーションであるのに、「自分が」ヘタに思われたらどうしよう、とか、「自分が」ダサいと思われないか?結局「自分にばっかりに注意」が向いてるんだな。これが「アタシかわいい、かわいい」状態だ。

たしかに、注意が自分ばっかりになってしまってるかも…

本来の相手に何かに伝えるというコミュニケーションの本質が抜けてしまって、自分が自分がという呪縛にはまって、相手が見えなくなって、結局コミュニケーションそのものが破綻してしまうことがある。そうなると、話す機会をどんどん失い、何かにおびえたりして、行動範囲が狭まってしまう。長期的に見て、損するのはどっちだろう。遠慮しているあなたのすぐそばで、猛スピードで間違いまくってる人がビュンビュン自分を追い抜かしていく。

じぶんかわいい、かわいいは結局自分のためになんないんだな。どうやってこの考え方を解消すればいいんだよ。

覚えてほしい言葉がある「しかたないじゃん、ネイティブじゃないんだから」、これを合言葉にしてくれ。

ええ、寂しいな。

別にかなしいことではなくて、ネイティブっぽくならないと話せないのか、コミュニケーションとれないのか、といえば、そんなこと全然ないよ、ということだ。変にかっこつけたり、遠慮することはないんだ。

JLCの話をちょっとすると、8~9割が初心者で入っている。で、回数をかさねて、3~5回ほど授業に参加したら、慣れてどんどん知識を入れたり、話せるようになってくる、で、初心者を脱してるので、これから入る初心者の人の目からすれば、その人はものすごい上級のレベルで、高度なことをやっていると感じるわけだ。

たしかに、何を学ぶにしてもそういったプロセスは絶対にあるはずだよな。初心者の状態で、周りの方がうまいのは当たり前だし。

インドネシア人だけではなくって、ほかの上手な学習者からもいろんなことが学べるので、自分なんて、と遠慮するのではなく、どんどん盗んでやる!という気持ちでいればいいんだ。

そっか、そういった環境も自分のためになるもんな。

周りの人と比べて自分は下手かな、とか、まだまだそのレベルじゃない、とか思って何もしなくていいやってズルズルしてしまうと、ずっとそのレベルにいたままだ。またこのズルズルで損してしまう、でも、この「損」に気づけない人が実はほとんどだ。

たしかに、ズルズルしておけば、勇気を出す必要もないから目先の「痛み」みたいなものから逃げられて、自分のできないことに向き合う必要がないもんな。

オレだって高校生から何十年も勉強して、何万人の生徒を見てきたわけだ、まだまだオレも間違えたりすることあるし、日本人の会話についていけないことなんて今でも全然あるわけさ。

そっか、ハリでもまだ悩んでるんなら、オレももっと勇気をだしてやらないとな。

その意気だ。これからは独学もやっていきながら自分の枠を広げてくれる人、学校、そういった環境づくりも意識していこう。あ、JLCには最高の環境がそろってるから覗いてみてくれ。

でた、宣伝…

そういうなよ、たまに生徒さんの中で、「JLCに入ろうか迷って一年たちました。」とかいう人がいるんだ。その一年、JLCでやってたらとっくに初心者なんて抜けてるわけだよ。ただ、この機会損失には、本人は気づいていない。

まあ確かに、ちょっとしたタイミングを逃したり、自分の中で言い訳してやるべきことから逃げたツケって結構こわいよね。気づかないとしたらなおのこと。

そういうこと。別にインドネシア語の学校なんてほかにも山ほどあるわけだからJLCで学ばなきゃいけないってこともないし、他の学校に行きながら、やってるのはジャパネシアの記事を使ってるって人もたくさんいる。とにかく自分がいいと思ったことを素直にやってあげることだな。これがほんとの自分をかわいがる、大切にするってことだと思うんだ。
自分を「かわいがる」とは

自分を大切にするとは、自分を甘やかすことではない、怖いことから逃げさせることでもない。

どれはほんとの意味で自分を「かわいがる」という意味ではないと?

そう、親子をイメージしてみるとわかる、子供をかわいがることは、何も、喜ぶからと言っておもちゃをなんでも買い与えることではない、お菓子を与えることでもない。その子の将来を思って、その子が嫌がったとしても大変なことをさせて乗り越えさせてあげることもそれに含まれるわけさ。そういったことを大人になった自分が自分に対してできるかどうか、それが大切なわけさ。じゃあ、終わりにしよう。

急だな!まあ、ここまでジャパネシアの記事を読んできた人なら大丈夫。最後に今回の内容をまとめた動画を撮ってるから、見ておいてね。

インドネシア語学習の道はまだまだ続くぞ!じゃあ次のレッスンにすすめい!!!
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TAIKIさん
10月1日のメルマガ「インドネシア語初心者が絶対にやっちゃいけないこと」を読みました。
今まででいちばん、いちばん、いちばんすてきです。
TAIKさんのことばが今わたしの体の隅々まで沁みわたっています。
Yuka.t
Yukaさん、Terima kasih!
いつも読んでいただきありがとうございます^^
勇気づけられました。ありがとうございます。スピーチコンテストという夢に向かって、インドネシア語もっともっと頑張ります。
Pantaiさん、ありがとうございます!Pasti bisa!!