やあ、中級を目指す諸君、次のレベルを目指すのかい?
そりゃそうだよ。まだまだいけるぜ!
ところで、今までやってきた感じはどうだろ?いい感じに伸びているかな?
それがよ~、全然なわけよ。難しい文章はムズカシイままだし、問題を解いても問題の意味さえわからない。上級レベルと中級レベルには大きな壁があるように思うんだな。
ハハハ、そんなもんさ。今回は、中級者が上級レベルを目指す際に意識しておくと「オトク」なことでも話すとするかのう。
おう、頼むよ。
いいから「勇気」を出せ
まず意識しておくことは「勇気」を出すこと。
なんだそれ、子供に言ってんのか?
いいや、子供の方がまだ勇気を出している。大人になって勇気が出せない損失を多くのオトナは気づいていない。
ええ、どういうことだよ。
つまりだ、ある程度のレベルにいる学習者はちょっとはインドネシア語を使えるワケだ。それをどんどん使うこと、それによって得られる経験や、知識はとても大きな意味を持つようになる。
え、でもさ、まだまだ使えるレベルなんかなじゃいんだって…
使えるか使えてないかは他人が決めること。ちょっと前に出て何かをしゃべったり、まかされた仕事に飛び込んでみたりすること。今、上級レベルで例えば通訳などで活躍している人なんかも、このように、「え、わたしでいいのだろうか。」という壁を越えてきた経験が必ずしもあるはずだ。
なるほど、つまり椅子に座ってずっと勉強しているだけではダメなんだな。
それももちろん楽しいことだが、圧倒的に情報量が少ない。例えば、オレも日本にいるときは飲み会によく参加したもんさ。さっぱりわからなかったけどね…
ハリでも飲み会は難しいのか?
そりゃそうだよ。いつもついては行くんだけど、結局何を言ってるかわからずしょんぼりして帰ってきて、でも、また行くってわけさ。いい気分ではないし、毎回戦場にいくつもりだったんだな。
うわー、よくそんなことできるな。
もちろんできない自分に向き合わなきゃいけないけども、だから勉強をもっとしなきゃいけないし、一人で勉強する時の意識も変わるってものなんだ。そういった壁を感じながらも壁を壊すために必要なことっていうのはちょっと勇気を出したときに気づかされることが多いんだな。
そういったことって、上級者を目指そうと思った段階から始めたわけ?
いやいや、そんなことはない、初心者の段階から、勇気を出すことの重要性は十分にわかっていたし、その時、そのレベルの自分を現実世界でどんどんぶつけていくって感じだ。
あー、そうなのか。なんか自分にはできる気がしないな~。精神的なストレスが…
ハハハ、オマエだって初心者の段階からYouTubeとかでインドネシア語しゃべってんじゃん。あーゆーこともほかの人から見たら勇気がいることだぞ?
まあ確かに、でもなんか慣れてきたんだよな、なんでだろ。
そんなもんさ。自分がやってきたことは自分は過小評価しがち、その逆に、他人がやっていることは自分にはできないってバイアスがかかりやすいのが人間ってもんさ。
中級者と上級者の距離
ハリ的にはさ、中級者と上級者の差ってどこにあると思う?
それは正直わからない… ある人は会話はとてもうまいけど、文章を読むのがニガテだったりするし、一概に、この人は上級、この人は中級って区分はなくって、これは教える側の勝手な解釈にすぎないわけだ。
でもさ、中級者と上級者ってれっきとした差が存在すると思うんだけど。
そんなもん、マラソンで、一時間前に走った人を見て、あの人は自分よりめっちゃ前に行ってる~!って言ってるようなもんさ。その差を生んでいるのは「時間軸」と「走るペース」のこの二つなわけだから、ここを伸ばしていくような習慣づけをすればいいわけ。
え、ごめん、どういうこと?
時間軸に関しては、インドネシア語を始めた「時期」をずらすことは決してできないわけだけども、一日の中で、早くインドネシア語に触れる習慣を作るとかが有効。例えば、朝起きてすぐスマホをみる場合には一記事読んでしまう…といったものだ。
おれは、SNSをダラダラ見るのがすきなんだけど。
まあ、それが人生で大事なことであればそうすればいいが、ダララダと20分布団でゴロゴロしてるのであれば、一記事読んだ方が絶対に身になるわな。このスキマ時間は侮れないわけだ。
はいはい、じゃあ、そうするよ。勉強にもなるし、ゴロゴロすることに対する罪悪感も減りそうだし…で、「時間軸」ともう一つ、「走るペース」ってのは何?
それは、フォーカス力だ。しっかりとまとまった時間を取って集中力を持って学習する。これだけで同じ学習時間をかけても大きな差が生まれてくる。長いこと勉強していると惰性でやってしまうこともあるから、短い時間を集中することを今一度意識してみよう。
学習歴が長くなってきて、できることが増えてくると、自然と集中力が増してくる感じもするんだけどな。
そんなことはない、なんとなくサラっと読めてしまったり、聞き取れてしまったりすることも増えるから細部へこだわることがすくなくなり、一文の構造をしっかりと理解したり、聞き取れなかった単語を拾おうとすることが少なくなる可能性がある。それでもなんとなく意味が取れてしまうからだ。
つまり、もう一度、「意識する」ってことが重要なわけだ。
そう、そういった集中力を取り戻すのには時間がかかるかもしれないが、あえて時間がかかる勉強方法を取り入れてもいい。しっかりとノートに書いて勉強するといったものだ。今はパソコンやスマホで手軽に勉強できるからな。スマホで文章を書けば、間違いがすぐに訂正されてしまうし、便利すぎても人間の成長につながらないケースもあると思うんだ。
なるほど… 便利にもメリットデメリットがあるんだな。
実はもう「武器」を手にしている
ジャパネシアの生徒さんの中にも、ちょっとインドネシア語をやってます。って言っただけで大きな仕事をまかされちゃったり、分不相応なことにチャレンジせざるを得なくなった人もいるんだが、総じて「やってよかった」と言っている。そういった挑戦ができることをもっと心から喜ぶべきだな。
確かに、仕事につながったり、今までとは違った自分に出会えるのも語学の良いところだよな。
その通り、これは努力だけでは決して成し遂げられるわけではなく、「勇気」によるところが多いんだ。だからこそ、勉強に加えて、自分の殻を破ったり、一歩前に踏み出す勇気という一見「目には見えない」大きな価値を持つことをこれからの学習で意識してみよう。
チャレンジして、うまくいけばうれしいし、上手くいかないことも財産になるし。人生って何が正解かわからないな。
ハハハ、確かにそうかもしれん。うまくいかないことも財産になる、ってのはいい言葉だ。その考え方は結局、人生への意味付けが上手だからこそ、そういう解釈になるってわけだ。
人生への意味付けって?
ほら、例えば、失敗しても、いい経験をさせてもらったと思う人もいれば、もうこんな失敗はごめんだ。もう何もしない!って人がいたとして、10年後、この2人のうち、未来が明るいのはどっちだろう?
そりゃ、前者の方さ。どんどんこれからもチャレンジし、いろんな経験値が積まれていくんじゃない?
そうだろ?逆に、後者の方は、人生の意味付けをその瞬間で行ってしまっている。見ているスパンが短い。このような人は、今がダメだからこの先もダメだろう、という考え方に陥りやすい。
確かに一回失敗すると、痛いし、もうやりたくないってなるな。
例えば、小学生がテストで悪い点を取った、恋人に振られた、となって、人生終わった。なんて言っていたら、笑っちゃうだろ?
確かに、オマエ、人生はまだまだ続くぞ!って言いたくなるわな。
そう、それはオトナも一緒だ。そして、オトナには自分で現実を変えたり未来を切り開く能力がもっとあるわけだ。そのうえ、ここにいるみんなはインドネシア語を使える。この武器を使わずに錆びさせているのはもったいない。もっと切れ味鋭い、ピカピカの武器にしていこうぜ!
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受動態の応用|命令文の時の受動態